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自閉症スペクトラムの子どもの強すぎる正義感

 自閉症スペクトラム(以下ASD)の子どもの保護者や教員からの相談で「うちの子正義感が強すぎるんです。」というものがけっこうあります。「屁理屈を言う。」という相談もよくありますがこれも強すぎる正義感に似ています。

 

 正義感が強いことは望ましいことでもありますが、日常接している人たちから‘すぎる’という印象を受ける正義感は、問題になってしまうこともあります。

 

 その‘すぎる’と思われるのはどんな要素なのでしょう?

 これまで相談を受けたなかでざっと考えてみると、以下の3つがありそうです。

 

  1. ささいなことにかなりの怒りを感じる
  2. 怒りが強すぎて固すぎる
  3. 自分のことを棚に上げている

 

1.は、それほど重大なルール違反やマナー違反ではないことに、かなり怒りの感情を抱くという状況です。多くの人には、‘まあまあ’や‘なあなあ’で済ませるようなものに目くじらを立ててしまうのですね。

 学校だと、授業中おしゃべりをやめないクラスメートに激怒していたり、制服のルールを守らない人にイライラを感じてしかたない、という感じです。家族でのお出かけでも、白線を出ると怒るというのも聞きます。

 

2.の強すぎるというのは、授業中おしゃべりに激怒するまでいくのは、強すぎると言わざるを得ないでしょう。強すぎるイライラをため込んで、強いストレスになって不登校や心身の不調に至る例もあります。直接いじわるされたり攻撃されたわけでもないのに、他者のルール違反が許せない、ということがで自分の心身を苦しめることになっているのです。

 また、相手の状況や立場、シチュエーションを考慮しない、説明されても怒り続ける、自分独自の理屈を展開して納得しないということもあります。他人のうっかりミスも認めない、許さないということもあります。

 

3.他者のルールやマナー違反には厳しいのに、自分の違反は認めない、気づいてすらいない、という例も多いです。他者からその矛盾をつかれると、独自の理論で言い返したり自分の正当性を無理筋にでも主張します。

 例えば、授業中おしゃべりをやめないクラスメートに怒っているのに、自分もつまらない授業のときには教室から出てしまったりするなどということです。その点を指摘すると、一瞬つまったようになるのですが、すぐに「つまらない授業に参加しないのは当然で、僕が悪いのではなく授業を面白くできない教師が悪い。でもあいつは面白い授業のときもしゃべっている!」などと言うことがあります。つまらない授業は参加しない権利がある、授業を面白くするのは教師の責任、などという理屈は、一理あるので私など一瞬納得してしまうのですが、それならおしゃべりしてしまう人にも理由があるのでは、ということは認めません。そうすると、やはり自己中、自分勝手な屁理屈屋、などと思われてしまうでしょう。

 

 背景にはやはりASDの特性があると思われます。想定されるのは、

 

  1. 関心や認知の限定とこだわり
  2. 社会性や心の理論の苦手さ
  3. 感覚過敏

 

 1.2.はわかりやすいですね。ルールへのこだわりや視点の狭さや相手の立場に立つことが難しい場合、自分の正義を絶対視してしまうでしょう。

 3.は、音声へ過敏な場合が想定されます。うるさく騒ぐ周囲の音声を聞いているとつらいので、怒りが増していきます。さらにそれがルール違反して騒いでいるということになると、正義感にもつながるのです。

 

 強い正義感は大切な資質でもあります。ぜひしっかりと保持していってもらいたいものです。しかし、本人や周囲を苦しめる正義感には、やはり心理教育が必要になります。カウンセリングの基礎である、傾聴、受容、共感では、自分の正義が正当化されたと感じてしまうこともあります。

 しかし、カウンセラーや保護者、教師が受容せず否定していくと、意固地になりやはり強固になってしまいます。

 そこで支援者は上手な心理教育を行う必要があります。正義感が強いことはとても良いことで長所であると十分に認めたあと、社会で生きていくとき、どうしてもルール通りに人は動けないときもある、特に子どもは理性的にだけ生きているわけではないと伝えます。それは確かに残念なことでもあるけれど、人間のあり方として仕方ない部分もあること、また時にはルール違反が正義になることもあると解説していきます。

 感覚過敏に対しては心理教育では意味がないと思われるかもしれませんが、私の経験上、自分の感覚の特性を理解すると多少やわらいだり我慢できるようになることがあります。おそらく、まったく自分についてわからない状態でつらい感覚だけが生じているより、自分はこの種の刺激に敏感なんだとわかると、不安や恐怖が減り内的心理的に秩序ができて落ち着くのではないでしょうか。

 もちろん我慢させるだけではなく、イヤーマフや耳栓、机の脚にテニスボールを付ける等物理的な配慮も非常に大切です。

 

 自他の理解という心理教育、私の言う内面の構造化を通じて強すぎる正義感をやわらげることで、柔軟性と社会的に理解され長所として受け止められる正義感へ変えていけるとよいと思います。