12月になり、しらかば心理相談室でも、冬用のスリッパ、クッションカバー、イルミネーション、を出し冬支度となりました。
クライエントさんの席の前のテーブルに、スノードームを出しました。も冬の演出のひとつですが、季節感は大切だと思います。
しかし、スノードームにはただのオブジェ以上の利用法があるのです。それは、セラピー中にマインドフルネスと森田療法の説明に利用するのです。
スノードームはご存じの通り、振ると雪に見える粒が透明なドーム内に舞い上がり、ドーム一杯に広がります。そのあと置いておくと、次第に雪が落ちていき粒の動きは無くなり、ドーム内に静寂が訪れます。
これが、感情の動き、特にマインドフルネスと森田療法の感情の説によく似ていると思うのです。
マインドフルネスと森田療法の感情に対する説明から見てみましょう。
マインドフルネスでは、感情は変えようとすればするほど逆効果になると言います。落ち着かせようとして感情を操作しようとすればするほど意識してしまって、その感情が強く意識されてしまうのです。何度も何度も、変えようとして、反すうしてしまうのですね。ぐるぐる思考したり、自問自答したりして特定の感情にとらわれ、結局その感情が続いてしまうし、抑うつ的にもなっていきます。
そこで、瞑想で今ここで起こっている呼吸や感覚に意識を向け、感情に固執しないようにしていきます。感情は常に同じ強さで心に満ちているわけではありません。必ず弱まったり、心の視界の外に出るときもあります。つまり、感情をいじろうとしないでただ見つめる、そしてありのまま感じるのです。そうすると、嫌な想いを認知すると同時に、嫌な想いが弱くなることや自分の心がその感情だけにのっとられていはいないことにも気づきますし、感情と一体化して苦しむことが減っていきます。
森田療法においては「感情の法則」という説が、マインドフルネスとよく似ています。「感情の法則」は5つあるのですが、今回のテーマに合うものを取り上げます。それは、感情はそのままほっておくと、山形の曲線をなし、上がったあと下がる、つまり、興奮した後は必ず落ち着くというものです。逆に、感情に注意を集中すると、ますます強くなる、と言います。
ここで気を付けなければならないのは、落ち着いたり下がるのは、自然にしておけば、ということです。この法則は自然の法則なので、人為的にいじってしまうと、そうならなくなります。具体的には、感情や苦しみに注意を向けてしまったり刺激を与えてしまうと、その苦しみは自然な動きをとらず、強まるし維持されます。その感情を意図的に変えようとか消そうとか抑えようとか忘れようとするのは、逆効果です。またその感情の赴くままに行動するのも、強化、維持になります。精神は流転するので、「とらわれず」「あるがまま」にして放任しておくと苦しみも自然に消えてゆく、と言います。この態度を「自然服従」と言います。
マインドフルネスと森田療法は、思想面、実践面共に、どちらも仏教に影響されているので(上座部仏教と真言密教と禅と浄土真宗が混じっているような感じですが)、苦悩に対する考えは似ていますね。
さて、このマインドフルネスと森田療法の感情に対する考えをクライエントさんに説明するとき、スノードームを使うことがあります。
「スノードームが人の心全体としましょう。こうして振ると、雪がドームいっぱいに広がりますね。これが怒りや悲しみや絶望が心に満ち満ちている状態だとしましょう。これをこうして置いて、そっとしておくと…次第に落ちていって静まります。感情も同じなのです。どんなに強く不快な感情であってもそうなると考えられています。
しかし、途中で、この心全体に満ちた怒りか悲しみを何とかしようとこうしてスノードームに触れると…また舞い上がってしまいます。感情について考えたり何とかしようとしたりすると、かえって感情が落ち着かなくなるのです。瞑想はこの雪が落ちていく様をただ見ているようなものです。また、感情に注意を向けるのをやめ、やるべき行動をしてみましょう。今ここの感覚に意識を向け行動し、苦しみも悲しみも現れては消える雑念と同じようなものとして見ていくと、次第に落ち着いていく様も見ることができます。」
相談室の机上に置いてあるスノードームを使ってこのような話をすると、ただ言語で説明するより、クライエントさんも実感としてわかるようです。
自分でスノードームを振って、「昨日の私はこうなっていました。」等と表現してくれることもあります。
心理療法は、具体物ではない、感情や認知、つまり心をどう印象深く表現するかという点が重要なポイントだったりします。心理療法用に作られたものではない、色々なものをツールとして柔軟に使用していきたいですね。
(文献)
大谷彰 「マインドフルネス入門講義」 金剛出版
森田正馬 「神経質の本態と療法」 白揚社