合気道の技は、最後に「投げ」を行います。「押さえ」もあるのですが、いずれにしても調和し和合した後に、二人は別れて終わるのです。
私が行っている合気道セラピーでは、だれでもできるようマイルドにしているので、投げ飛ばしたり関節を強くきめたり床に押さえることはしていないですが、やはり最後には、セラピストとクライエントさんは、分離します。
合気道では上述したように調和や和合が強調されます。私の合気道セラピーのブログでも、その点をこれまで書いてきました。
一方、技の最後に投げて終わることは、私も、合気道関連の書籍でも、開祖や高弟の言葉でも、あまり触れられてこなかったように思います。
そう、調和し和合したあとは、我々は別れなくてはならないのです。
開祖のような達人は、相手と、さらには世界や宇宙と和合しているような意識と身体の状態になっているようです。それでも、別々の身体を持った物理的な存在である人間である以上、開祖も相手や世界と常に一体化して生きていくことは不可能でしょう。
エヴァンゲリオン、ヱヴァンゲリヲンの「人類補完計画」は、それを否定し人類やすべての生き物を一つにしてしまおうというものでした。しかしあの計画(旧劇で見せられた人類補完計画の光景)を和合や調和といった美しい状態とは言えないでしょう。むしろ気色悪い…。
合気道では、技が開始される前には別々の存在だった二人が、技が開始されると、一体化したような感覚になります。しかし、そのままいつまでもいることはできません。最後は、その調和からも分離されないといけないのです。
私は心理療法家ではユングの考えが一番合気道に近いと思っているのですが、ユングは錬金術を象徴的に読み解いて、様々な要素が融和する重要性を説きました。そして、最後には、金剛石、賢者の石、のような、壊れることのない個性=「個性化」を心理療法の目標としました。別々の物質や男女、肯定と否定が融和した後は、個人として自律するのです。
合気道においても、技は調和と和合の後に「投げ」という別離によって、完成するのです。
これは心理療法、カウンセリングにおいても同様です。最後はセラピーは終結し、セラピストとクライエントは別れなくてはならないのです。
よく、心理療法は宗教と比較されることもあります。類似点も多いでしょうし、違いも多いでしょう。別れや終結がある、というのも、大きな違いであると考えます。特に問題のあるカルト宗教には、終結や別れ(脱会や転向)が許されません。そして、死後の世界まで規定し追いかけてくるような教えもあります。死んでからもなお、縛られます。
心理療法、カウンセリングでは、症状の改善、問題や悩みの落ち着き、心理的安定、解決まではしていないが方向性がわかった、などがみられたら、終結していきますし、セラピストからそれを提案することもあります。(もちろん、クライエントさんが続けたいという場合は尊重します)
逆に、長期間かけてもなんの効果も出ない、変化があってもクライエントさんの望みとは違う、自分以外のセラピーや他の機関のほうが合っている、などのときも終結しますし、やはりセラピストからそれを提案するのも誠意でしょう。(もちろん、今は結果出ていないけれど希望が感じられる場合は続けるよう言うこともあります)
また、クライエントさんに金銭的余裕がなくなった、引っ越しして通えなくなった(今はオンラインでの継続も多いですが)、などのときも、生活の現実を無視して通い続けるよう強引に言うこともありません。(もちろん、なんとか方法がないか話し合うこともあります)
終わらないセラピーは、成功ではないですよね。だって、クライエントさんが満足や納得して終結して初めて、成功したセラピーと言えるわけですので。
セラピーは終結、別れが必ずあります。それは、その過程で調和や和合を十分に味わってから投げという別離で終る合気道とよく似ています。別離は卒業と言ってもよいのかもしれませんね。