パンデミック、戦争、芸能人の自死など、ここ数か月、いや数年、命についていろいろ考えるようになった方も多いことでしょう。
私もそうです。臨床心理士という仕事を選んだ時点で、医師や看護師ほどではなくても、他者の命に関わる覚悟は持たなくてはいけませんでした。ここ数年、それをさらに考えなくてはいけない状況になっています。
さて、ここで参考にしたいのが、小説でアニメ化もされた『銀河英雄伝説』です。
『銀河英雄伝説』は、政治や文化、文明についての鋭く深い名言が多い作品です。今回のテーマと関係している名言として、主人公の一人、ヤン・ウェンリーのセリフを紹介します。
「人間の社会には思想の潮流の2つあるんだ。生命以上の価値が存在する、という説と、生命に優るものはない、という説とだ 人は戦いを始める時前者を口実にし、戦いをやめる時後者を理由にする。」
戦争はもちろん、新型コロナに対する考えにも当てはまりそうです。高齢者や基礎疾患のある人が多少犠牲になっても、経済や自由の権利のためロックダウンやマスク着用はやめるべきというのは前者、高齢者や運悪く重症化や亡くなってしまう命を守るため経済や人権は犠牲にするべきだ、というのは後者です。
人の自由に生きる権利は感染症で亡くなる命より大事か、命のためには自由という権利はさほど重要ではないとするか…。(もちろん、経済苦境で亡くなることを防ぎたいという場合は後者になるでしょうから、単純に二つに分けられるわけではないのですが)
自分の判断の背景が、どちらの思想の影響を受けているか、どちらの思想を根拠にしているか、は意識したほうがよいかもしれません。
生命維持のチューブにつながって生きるなら死んだ方がよい、というのも、前者ですね。自力で歩いたり活動することや自己決定権が人間にとって大事という思想が、命こそ大事という思想を超えているわけです。ここまで考えると、国家や政治体制よりは生命が大切と考える人も、迷うのではないでしょうか。人の思想は固定化されているのではないので、状況によって変わることでしょう。
さて、私についてですが、基本的には後者です。生命より大切なものはない、と思っています。
前者の価値観がロマンティックで美しいという思いは私にもかなりあります。若いころは私も前者の考えが強かったです。
しかし、心理療法家として活動していると、生命こそすべての価値観の上位にあると感じることが増えてきました。それは考察して思想として固まったというより、心理療法しているときの素朴な想いで、そう浮かんでくることが多いことからです。
死にたいと話されるクライエントさんと接したとき、私に自然に浮かぶのは
「死なないで。生きていさえいれば悩みは心理療法でなんとかできる!」
というものです。もちろん、自死したいほどの苦しみをすべて心理療法で解決できるなどとうぬぼれているわけではありません。しかし、
「死んでしまったらもうカウンセリングや心理療法では救えない!」
とこころの中で叫んでいる自分がいるのです。
おそらく、死の意味とは、「動かない」、つまり「変化しない」、ということではないでしょうか。それが救いと感じるときもありますが、心理療法やカウンセリングは「変化するもの」でなくては通じないものなのだと思います。だから、生きている、つまり変化する存在である限り、カウンセリングや心理療法が有効なはずだ、とすがるのです。
また、自死や絶望について考えるとき、『風の谷のナウシカ』の漫画版のセリフも常に浮かんできます。
「どんなにみじめな生命であっても 生命はそれ自体の力によって生きています」
虐待やいじめ、その他人生の色々な悲劇によって、人は孤立し絶望し、自分の存在価値を見失います。自分をみじめな生き物だと思うこともあります。
それでも、ナウシカのこの言葉は、虐待を受けていようと、どんなにみじめな立場にいようと、親や周囲と関係なく、その人そのものの生命の力によって我々はみんな生きているのだと思わせてくれます。
愛に恵まれず、失敗ばかりで、情けなく悲しく悔しい、生まれてこないほうがよかった! となげく人と面接しているとき、私のこころの中で「それでもあなたはあなた自身の生命の力で生きています!」と叫んでいることがあります。
実は、自死をとめると、クライエントさんから恨まれることも多いのです。セラピーに来なくなってしまうこともあります。それでも、やはり、死にあらがうことは心理療法の、生命の力の発現であると思いながら、変化を目指して取り組んでいこうと思います。
(文献)
『銀河英雄伝説1 黎明編』田中芳樹 東京創元社
『風の谷のナウシカ7』 宮崎駿 徳間書店