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ムーミン谷のカウンセリング⑬ーある意味悲劇のヒロイン、スノークのおじょうさんー

 最近、複数のクライエントさんから、当方にご相談にきてからムーミンを読んだりグッズを買うようになったという声を聞きました。(この一文の記載は該当のクライエントさんたちの許可を得ています。)

 カウンセリング中にお勧めなどはしていませんが、ブログをご覧になっていただいて興味を持たれるようです。

 

 さて、先日、映画「TOVE/トーべ」を観てきました。トーべ・ヤンソンの青年時代の恋愛について多く描かれた作品でした。一筋縄ではいかない恋愛をしてきたようで、ムーミン作品の多様性にもつながっているように思います。

 

 今回はヒロイン、スノークのおじょうさんを取り上げます。しかし、上記したような複雑な恋愛をしてきた作者にしては、スノークのおじょうさんはいわゆる男性が思い描く典型的な女の子として描かれすぎているように思うのです。

 

 スノークのおじょうさんは、シリーズの最初(厳密には2作目)、『ムーミン谷の彗星』でムーミンと出会います。その出会い方は、食虫(食妖精?)植物につかまっているところをムーミンに助けられるというものです。ムーミンはナイフで食虫植物を斬っていくのですが、剣をふるって怪物から女性を助けるというのは、ペルセウスからスサノオ、ロトの子孫に至るまで、洋の東西を問わず、時代を問わず、普遍的な英雄物語です。

 その後の『たのしいムーミン一家』『ムーミン谷の夏まつり』では、二人はとても仲良しなカップルです。ムーミンはスノークのおじょうさんの容姿をほめてやさしくし、スノークのおじょうさんはその容姿を大事にし、ムーミンのことが大好きで、嫉妬したり、恥ずかしがったり、いわゆる男性が考えるようなカップル像、少女像として描かれています。

 

 このように主人公ムーミントロールのガールフレンド、メインヒロインという立ち位置でした。しかし、『ムーミン谷の冬』では、ラストシーンにちょこっと出るだけで、その後の深みを増していくムーミンシリーズでは出番がなくなっていきます。『ムーミン谷のなかまたち』でも、ほんの少し出ますが、竜にふられ傷つくムーミンを支えたりはげましたり、知恵深く導いたりする役割は与えられません。その他大勢としてのサブキャラの位置なのです。

 

 ムーミンシリーズは、「ビルドゥングスロマン」というジャンルだと思います。「ビルドゥングスロマン」は日本語には「教養小説」と訳されました。この訳だと、道徳を押し付けたり正しい生き方を説教してくるように感じてしまうので、私はドイツ語である「ビルドゥングスロマン」のまま使いたいのですが、これは主人公が内面的・精神的に成長する姿を描く物語というものです。以前ブログで取り上げたマンガ、『ベルセルク』や『バガボンド』はまさにそうですね。あ、『ガンダム』のアムロもそうだと思います。

 

 本ブログの主人公、ムーミントロールも、まさにシリーズを通して成長していくキャラクターです。バトルマンガではないので強敵(とも)との戦いではなく、その成長は様々な体験や他者との出会いを通じて、内面、精神的な成長していくものとして描かれていきます。以前、『悲恋のムーミントロール』でも書きましたが、ムーミンは失恋や自分と正反対の性格や生き方をしている冬の生き物たち、あるいはトゥーティッキやミイとの出会いや対話を通じて変化して大人になっていきます。これはバトルマンガ以上に我々の経験に近いですね。

 

 そのような中で、スノークのおじょうさんはヒロインとしての座を失っていったように感じました。

 

 これは、ムーミンの(そして作者の、作品自体の)成長にともない、典型的な少女像であるスノークのおじょうさんでは、物語に深みを与える役割を果たせなくなったのでしょう。またムーミンの成長にも、影響を与えられなくなったのでしょう。

 その役割はトゥーティッキとちびのミイが果たしていきます。べたべたと甘えさせずクールで本当の意味で他者を尊重しコミュニケーションに長けているトゥーティッキ、毒舌でムーミンの偽善・欺瞞を容赦なくあばき、幼稚なロマンティシズムを打ち砕くミイ、そのふたりが、ムーミンの成長に必要な女性となります。

 失恋に関しても、もっと美しくもっと残酷なうみうまたちによってムーミンは大きな傷をつけられます。スノークのおじょうさんでは、支えることも成長させることも、そして成長のきっかけとなる大きな傷をつけることも、できなくなっていったのです。

 

 そのため、スノークのおじょうさんは作品から退場していきます。描かれてはいませんが、ムーミンとの恋愛関係は終わる展開が予想されます。スノークのおじょうさんにはなんの罪もないのですが、ムーミンにとって必要な女性でなくなっていったのではないかと思います。『ガンダム』でいうアムロとフラウ・ボウのようになるのではないでしょうか。

 物語の展開と深みによって出番の減らされたスノークのおじょうさんは、ある意味悲劇のヒロインだったと言えます。

 

 とはいえ、文学はともかく現実世界では深みや苦悩が価値があるとも言えません。スノークのおじょうさんのほうが、深く傷つき苦悩して成長するムーミンよりも、幸せで充実した人生を送る可能性も高く、それも貴重な人生の側面だと思います。

 また、スノークのおじょうさんも、いずれ内面的な苦悩や成長にぶつかることもあるでしょう。こういった体験や人生上のテーマは、人によって出会う時期やタイミング、縁が異なるようです。思春期にぶつからなかった人が、中年期に様々な課題や困難に出会うこともよくあります。スノークのおじょうさんのビルドゥングスロマンも見てみたい気もします。

 

 

(文献)

・トーべ・ヤンソン 下村隆一(訳) ムーミン谷の彗星 講談社

・トーべ・ヤンソン 山室静(訳) たのしいムーミン一家 講談社

・トーべ・ヤンソン 下村隆一(訳) ムーミン谷の夏まつり 講談社

・トーべ・ヤンソン 山室静(訳) ムーミン谷の冬 講談社

・トーべ・ヤンソン 山室静(訳) ムーミン谷の仲間たち 講談社