前回はフィリフィヨンカさんの物語を通じ、“女性らしさ”から解放されるテーマとして解読しました。
それに続き、ヘムレンさんが“男らしさ”から解放され自分らしく生きていく過程を考察したいと思います。
準レギュラーキャラとしては、ヘムレンさんはもっとも多く登場しています。しかし例によって、固人名ではないと認識しないと、年齢も性格もばらばらなヘムレンさんが出てくるので、わけがわからなくなります。スウェーデン語の定冠詞変化でヘムル、ヘムレンと変わるそうで、それも混乱しますね。本ブログではヘムレンとして統一します。
フィリフィヨンカさんが女性の典型を描いていると感じるように、ヘムレンさんは男性のもつ典型的な要素をキャラクター化したように思います。
『ムーミン谷の彗星』では、昆虫採集するヘムレンさんと切手の収集をするヘムレンさんが登場します。今は女性でも収集を趣味とする人は大勢いますが、少し前は収集を趣味とし、それ以外に興味を示さなく生活力のない人は男性に圧倒的に多かったと思います。
『ムーミン谷の夏まつり』では、公園番とおまわりさんとして登場します。秩序を守り規則に頑なで、それを腕力をもって押し付け罰を与えようとしてきます。
『ムーミン谷の冬』では、スキーと音楽を愛し、他者の気持ちには鈍感なパワフルで体育会のヘムレンさんが出てきます。
『ムーミン谷の仲間たち』では、孤独好きで他者と交わらず静かに生きていきたいヘムレンさんが登場します。
上記したヘムレンさんたちは、すべて別人ですが、男性に多くみられる性格をばらけて表現したではないでしょうか。もちろん、男性の一部分の切り取りであり、また女性にもそのような性格はあります。しかし、小説や映画など作品として表現するときや鑑賞者がそこから読み取るときは、一類型として簡素化して表現するものです。現実の複雑さや細かさをすべて表現するというのは、なかなかできないことでしょう。
ですので、私はヘムレンさんの描かれ方をみて、男性が抱えることが多い問題や性格上の特徴を表現したものとしてのヘムレンさんという読み取りをしました。
さて、この男性的なヘムレンさんですが、やはり後期作品で深みを増していきます。『ムーミン谷の十一月』で、フィリフィヨンカさんと同じテーマ、つまり自分の持つ(勝手な)男性イメージからの解放が描かれていきます。
『十一月』のヘムレンさんは、他のキャラクター同様、毎日の生活に満たされないものを感じ、ムーミン一家に会いたくてやってきます。フィリフィヨンカはママに会いたくなるのですが、ヘムレンさんはパパに会うためやってきます。昔ムーミン谷にいたときは朝目がさめると楽しい気分だったこと、特にムーミンパパとそのヨットのことを覚えていました。
ヘムレンさんもヨットをもっていて、進水式の写真では自分とヨットがいっしょに写っています。しかし、実際には、忙しすぎてヨットを操縦したことはないのです。つまりヨットを所有しているだけで、一度も海に出航したことがないんですね。冒険家のムーミンパパにあこがれるのも当然でしょう。
ムーミン谷に来たヘムレンさんは、男性的なマッチョな行動をとります。まず、留守宅となったムーミン屋敷では、中に人がいるのに返事をしないと思い、「警察のものだぞ!」とからかいます。からかいとはいえ、警察だと脅している点で、ヘムレンさんの男性的な攻撃性が見受けられます。
年下のホムサには、ヨットを自慢し、そのすばらしさについて語ります。自分は実際には海に出たことはないのですが。
スナフキンにも、ヨットを自慢し、帆を赤色にしたら勇ましい、とやはり古典的な男性性をみせます。そして、ヨット好きはみんな親戚のような気がする、ムーミンパパと自分が似ている、と言います。スナフキンは答えようがありませんのであいまいに返事するだけですが、ヘムレンさんは一方的です。
そして、フィリフィヨンカには「命令は男がするんだ。男だ。男だ。」「うちの中のことは女の役目だ。」と主張します。しかしフィリフィヨンカに反論されると、すねてムーミン屋敷から出て、スナフキンの迷惑も考えず、テントに押しかけ寝泊まりします。
どうでしょう。こういう男性、多くないですか?…私も男性なので、ちょっと恥ずかしいというか、見たくない自分の恥部のような気もします。特に、今の若者より中年~高齢者にこういう方が多いように思います。
ムーミン谷に来る前のヘムレンさんは、自分が嫌になり、存在価値を見失っていました。自分がなにもしなくなったらと想像すると、だれかべつの人がするだけ、という結論を出してしまい、ぎょっとして怖くなります。
しかしムーミン谷でほかの人たちに会うと、前時代的な男らしさを振りかざしているように思います。そう、強がりでありマウンティングですね。人になめられないよう、勝とう勝とうとします。
自分のおびえや不安、ヨットに乗ったこともない行動力の無さ、意気地の無さは隠して、自分が大物のようにふるまいます。弱さを見せないのです。冒険家であるムーミンパパと自分を同一視して、自分の弱さをかくし、上位に立とうとします。それはホムサやスナフキンをだますだけでなく、自分自身をもだましています。
古い価値観だと、それはばからしくも男のいじらしい面として認められていたかもしれません。つっぱることが男の勲章♪みたいな。しかし、典型的な、古くさい、パターン化された、べたな男らしさにとらわれることで、本来多彩なはずの個人の特性を押し込め抑圧することにもなりました。男だって弱い部分はあるし、人に勝たなくたっていいし、家事をやったっていいし、ヨットなんて怖くて無理と言ったっていいのですが、それは言えなくなります。
同時に、男が強がるためには、女性に弱弱しさを押し付け下に見ることになります。ヘムレンさんは年下のホムサや同僚的なスナフキンには自慢や自分の考えを誇らしげに語りマウントを取ろうとすると同時に、フィリフィヨンカさんにはヨットの話をせず、命令し家事を押し付けようとすることでマウントを取とうとします。一方的な自慢話さえしないのです。
さて、そのようなヘムレンさんですが、他のメンバーとのかかわり、あるいは変化に合わせるように、ヘムレンさんも変化していきます。はじめてテントで寝て、フィリフィヨンカの芸術性を認め掃除のお礼を言い、気の弱いホムサに怒られていきます。こういった他者とのいきいきとした関係をもつことが、人を変えていくのです。
そして、ヘムレンさんにとって決定的な出来事が起こります。スナフキンに誘われ、ヨットで海に出るのです。「いっしょにのろうよ。」とスナフキンに言われたとき、横で見ていたホムサはヘムレンさんがおびえたように思います。しかしヘムレンさんは口では「そいつは、まったく、すばらしいや。」と言います。
スナフキンが準備し、ヘムレンさんをへさきにすわらせます。スピードをあげるヨットに、ヘムレンさんはふるえおびえます。「スナフキンが、ぼくがこんなにこわがっていることに、気がつかなきゃいいんだけど」と思います。そして気持ちが悪くなり、死んだ方がましとまで思います。
そんなときにスナフキンから、「きみがかじをとれよ。」とふられます。「だめだよ。」と拒否しますが、スナフキンは許さず、かじを取るのをやめてしまいます。しかたなくあきらめてヘムレンさんは船尾でかじを取ります。はげしい風と波にもまれ、夢中でなんとかかじを取るなかで、「このまま世界のはてまでいったって、ぼくは、もう気持ちわるくなんでならないぞ。どんなきびしい試練だって、くるならきてみろ。」と感じます。そして何も考えなくなり、ただへさきを見て沖へ沖へと出ていきます。
帰宅すると、ヘムレンさんはホムサに海に出たのは初めてだと打ち明けます。そして、ヨットはおっかなく、死にたくなるくらい気持ち悪くなると正直に語ります。ホムサも共感的にその話を聞きます。ヘムレンさんは、自分がりっぱにかじを取り、スナフキンに自分のおびえを気づかせなかったと言いますが、同時に、もうヨットにのる必要がなくなった、とも言います。そして、自分の家に帰る気持ちになりました。それまで同じことの繰り返しで意味のないと思っていた家での片付けに、意味を感じます。ヨットは必要な人にゆずると話してムーミン谷から帰っていきます。
ヘムレンさんの強がりは、本当に強いのではなく、むしろ自分の弱さをごまかすため、他者になめられないためのものでした。実際に海に出て、かじを取るという本当の勇気と強さを経験してからは、ヨットにのるという“男らしさ”は必要なくなったのです。ヘムレンさんは冒険家としてムーミンパパを崇拝していたように、ヨットに過剰な男性性を投影していたのでしょう。ヨットそのものが好きというより、マッチョの象徴として好んでいたのですね。
しかし、本当に勇気ある行動をとれたこと、冒険を経験したことで、自分に本当に必要なものではなくなっていったのでしょう。空想の世界で頭でっかちに冒険や自由という強さ、雄々しさを考えていたときには、自分のヨットの自慢やアピールでマウントをとる必要があったし、自分の弱さから目を背けるためにも必要な投影物だったのでしょう。
ヘムレンさんは、勇敢でなくてはいけない、弱さをみせてはいけない、他人の上に立たないといけないという悪しき男性性にとらわれ、その象徴としてヨットやムーミンパパを過剰に持ち上げしがみついていたようです。しかしヨットの本当の姿を知り、本当の冒険を知り、自分が本当に求めているものに気づいていったのでしょう。
本当に強い人には、強さや勇敢さの象徴は必要ないのかもしれません。そして本当の強さは、自分の弱さや情けなさを経験し、ごまかさず認めることで得られるのでしょう。
文献
トーべ・ヤンソン 鈴木徹郎(訳) ムーミン谷の十一月 講談社
おまけ
フィンランドの人にとって、ヨットは身近なもののようです。ナーンタリにあるムーミンのテーマパーク、ムーミンワールドのホームページを見ると、Arrivalつまりアクセスのページが載っています。日本テーマパークもお店のホームページでもありますし当然なのですが、車でお越しの場合、バスでお越しの場合、に交じって、自分のボートでお越しの場合、というアクセス方法があって驚きました。遊園地にマイボートで来るのかい!と。写真は私が2014年に行ったムーミンワールドの入り口です。ヨットがたくさんとまってますね。ここに来る途中にもとてもたくさんヨットがありました。