武道・武術が避けるべきとしている心身の状態に、固まる、力む、緊張する、とらわれる、などがあります。
ポリヴェーガル理論という神経系の理論によると、これらは背側迷走神経と交感神経の働きです。危機が迫ったとき、生物の神経系はリラックスを司る腹側迷走神経から変化して(上記二つの神経系へのブレーキを外して)対応するのです。そして、これらの神経系は、生物のなかでも古い神経系とされています。つまり、脊椎動物であれば、ほとんどの生物が持っている神経系であり対処法なのです。
武道・武術が避けるべきとしているものは、生物にとっては当然の、つまり“自然な”神経系の反応なのです。逆に、危機においてもリラックスして視野を広く持ち、他者と和するというのは、とても“不自然な”ことなのですね。
武道・武術家のなかには、人間は思考を発達させすぎて、自然な動きから遠ざかってしまったと主張する方がいます。確かに、かのブルース・リーも「Don’t think, feel.」と言っています。思考、つまり大脳前頭葉の機能ですね。大脳が大きくなりすぎた人間は、思考にとらわれて身体が訴える自然な動きができない、自然な感覚を見過ごしている、ということですね。
私はこの考えに基本的には賛成なのですが、一方、生物はその古い神経系に、固まる、力む、緊張する、とらわれる、という反応を持っているということも言っておきたいと思います。
人間の自然な反応をそのままにしたら、武道は成り立たないのではないでしょうか。自然の神経系のおもむくまま、古い神経系が解放され、背側迷走神経と交感神経による争いと緊張と絶望が高まるというのは、修羅の世界です。
リラックスと他者とのコミュニケーションを司る腹側迷走神経は、哺乳類になってから出現し、霊長類で発達した、高度で知的な神経系です。そして、霊長類になって発達したもう一つの神経は大脳の前頭葉で、それは思考と観察の機能です。つまり、「思考・観察」と、「リラックス・他者との調和」は、人間においてセットになっているのではないかと想像されます。
マインドフルネス瞑想においては、大脳の機能である観察によって悩みや苦しみから解放されていきます。神経系の働きからトラウマを理解したセラピー、ソマティック・エクスペリエンシング™の開発者、P.A.ラヴィーン博士は、観察する前頭葉を常に働かせておくことが治療に効果的であり、こころとからだの分裂を癒し人間の全体性を促進し人間らしい人間であることを実感できる述べています。(おお、ユングみたい!近年の神経系の研究がユングの正しさを証明しつつあるような気がします。)
また、武道と異なり、セラピーにおいては、古い反応である背側迷走神経や交感神経の反応についても、それが悪いとかさけるべしと単純に言えないのです。特に、トラウマ体験のあるクライエントさんは、その反応を、恥や罪、弱さ、情けなさととらえていて、自分を責めていることがあるのです。たとえ武道的にはよろしくない反応をしたとしても、「あなたの神経系は身を守るためによく機能した。」と認め、自分の神経系を慰め評価し、肯定する必要があるのです。
そういった意味で、“武道の理”は“自然の理”というより、観察や思考や倫理観や合理性といった機能を司る大脳の前頭葉と、他者とコミュニケーションしリラックスを司る新しい副交感神経系と、危機に対し身を守るための古い神経系の三つを統合し、“自然の理の先に進もうとする理”である気がします。
*このブログを書いているタイミングで、先ほど挙げたブルース・リーがドラッグ依存だったというニュースが入ってきました。身体や感覚、直観を理性や思考の上に置くと、身体・感覚の変化を安易にうながすドラッグを使用してしまうのかもしれません。(もっとも、1960年代にはLSDやマリファナはスピリチュアリティを求める人たちにはかなり肯定的に受け止められていて、今ほどその危険性や社会的影響の側面が理解されていませんでした。)
ただし、今回“自然”という言葉を、“いわゆる自然”、つまり人間の意志や意図、合理性、科学的、人間主体的、ではない物事・現象、という、natureに近い意味で使用しています。
しかし、意識と無意識、身体とこころ、大脳前頭前野と古い脳等を統合する働きも“自然”、と考えることもできます。人間の“自然”に反する行動も、広くは自然と呼ぶこともできますね。人間の大脳前頭前野、意識、科学、合理性も“自然”の中で育てられたものです。
そういう広い意味で“自然”ととらえると、あらゆる行動、現象は“自然の理”となります。そして、私は本質的にはそう考えているのです。あ、そうすると、“自然の理”と呼ぶのではなく、“宇宙の理”とか合気道開祖植芝盛平翁の言う“天地大宇宙”と言えば、武道も心理療法も、その“理”に基づく活動ということになるのでしょう。
文献
P.A.ラヴィーン(著) 池島良子・西村もゆ子・福井義一・牧野有可里(訳) 身体に閉じ込められたトラウマーソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアー 星和書店