マインドフルネスのなかの大事な考え方に、「受容(アクセプタンス)」があります。自分が感知していることを、価値判断せず、そのまま受け止めるということです。マインドフルネスではあまり「相手の立場に立つ」ということは言いませんが、合気道をやっていると、「受容(アクセプタンス)」と「相手の立場に立つこと」は1セットであると実感します。
たとえば相手が腹、胸を突いてきたとき、「どうぞ、いらっしゃい。」という気持ちでそのふところに受容します。そのことは以前のブログでも書きました。そのあと、相手の立場に身をおく動きをします。それは「相手の動きを尊重する」「相手の気の流れを尊ぶ」という動きにつながります。
流れで言うと、相手の突くという動きを「どうぞ、いらっしゃい。」と受容し、次に相手と同じ体勢をとります。「鏡写し」とも言います。そのうえで、相手の突きを導きます。「こっちに行きたいんだね。」という気持ちです。相手の突きは動きや気の流れ、つまりやりたいことを尊重されているので、容易に導かれるのです。そうすると、導く者と導かれる者が一体となります。この一体感は心地よく、もともと攻撃であった突きが、二人の共同作業によって、愛や癒しに変化するように思います。ユング的に言うと、合気道の技は、もともと価値の低い攻撃性というものを共同作業によって煮詰め浄化し、黄金を生み出す「錬金術的容器」となっているのです。
合気道は受容したあとに、相手の立場に身をおく、気の流れを尊重する、共に動くことで浄化する、浄化した攻撃性を持ち主に返す、彼我ともに癒される、という流れを行っているように思えます。
受容が無ければ相手の立場に立つ流れにつながらないし、相手の立場に立つ意識が無ければ受容したあとどうしてよいかわからないため、受容もできないのです。両方がそろわないと、技は成立しないのです。
最近の社会の動きを見ていると、政治の世界でも経済の世界でも、「自分と異なる立場に身をおく」ことが忘れられすぎているように思うのです。心理療法の場はもちろんですが、相手の立場に立つことは社会のあちこちで今まさに必要なのではないでしょうか。自分の軸をしっかりと持ったうえで相手の気を尊重することは、お互いが癒されることになると思います。そのヒントが合気道にはあるように感じるのです。