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ムーミン谷のカウンセリング⑤-嫌味と癒しのトリックスター、ちびのミイー

ちびのミイはとても人気があります。ムーミンキャラクター投票があれば、おそらく人気ナンバー1でしょう。満を持して(?)ミイの考察にいきます。

 

小さな身体でいたずらっ子。誰にも遠慮せず、辛辣に真実を言ってのける。隠した気もちも本人に直接ぶつけてくる。自由に気ままに行動し、他人の秘密も見つけてしまう。他人は傷つけるが自分は傷つかない。といっても、ミイに傷けられるのはミイが悪いだけではなく、自分の弱さ醜さをつきつけられるから。ミイ自身は自分の欲望に素直で、隠し事もなければ、反論もしない、感情も乱さない。笑うか怒るか、何もしないか衝動的に何かするか。空想の世界にも現実の世界にも入り込む。そしてその言葉は個人を超えて、世の真実にまで到達する…。

 

 結論から言うと、ミイは典型的な“トリックスター”です。

 

<トリックスターとは>

 トリックスターとは、神話や昔話に出てくるいたずらなキャラクターのことです。特徴として、正義の味方じゃないけど完全に悪でもない。その中間的で善も悪もなす。創造も破壊もなす。立場も変幻自在で姿も変身することがある。異界ともつながりやすい。常識にとらわれない。下品。動物的。性的に奔放、権力や権威にしたがわず、いたずらをしかけて笑いものにする。とんちがきく。策略家で賢い、でもけっこう間抜け、という感じです。次第に善や創造、改革の力が強くなっていくと英雄、ヒーロー/ヒロインになるし、悪、破壊の要素が強くなっていくと、悪者、ヴィランになります。またヒーロー/ヒロインの道案内や成長のきっかけを担当したりもします。

 

 具体例でいうと、日本だとスサノオ、吉四六、西洋だと北欧神話のロキ、ギリシア神話のヘルメス、中国だと孫悟空などが典型的です。古今東西の文学、映画、マンガアニメでも多く、指輪物語(ロードオブザリング)のゴラム、ねずみ男、キン肉マン、ルパン三世、バットマンのジョーカー、アナ雪のオラフなんかがトリックスター的です。神話や昔話ではなく現実にいたものとしては、ヨーロッパ絶対王政下で王様のそばにいた道化、若いときの豊臣秀吉(木下藤吉郎)、坂本龍馬などでしょうか。ねずみ男の生みの親、作者の水木しげるもトリックスター的だと思います。また、このところ話題になる何人かのIT社長も、トリックスターの匂いがします。

 彼らは馬鹿にされたり批判されたりもするけど、硬直した秩序に新しい空気を入れ、創造をもたらして称賛されることもあります。

 

 トリックスターの要素は心理療法でも、大変重要です。その人の状況が、それまでの心理的な構えでは立ちいかないときに悩みや問題が現れるので、常識をぶち壊す発想のできるトリックスターが必要なのです。また、人は自分が認めたくないものは無意識に沈めています。その現体制がゆらぐときに悩みや問題が起こっているので、嫌でも無意識に沈めた自分の心理的要素に気付かなくてはなりません。カッコ悪い、価値がない、下品、くだらない、悪、として無意識に沈めた価値観を再評価するには、その人のこころにいるトリックスターの助けがいるのです。

 だから、カウンセラー、心理療法家もまたトリックスター性をおびます。常識にとらわれていては心理的援助はできないですからね。かといって、常識を完全に否定し忘れても適応の支援はできません。

 スクールカウンセラーは学校内のトリックスターだと思います。学校の教員とは違う常識を持ち、授業をやらず部活の顧問にならない分、自由。でも、学校文化を完全に否定し教員の敵にはならない。

 

 こころの癒しにとっても、トリックスター性はとても大切なのです。

 

 トリックスターの説明が長くなりましたが、どうでしょう。ちびのミイはもう完全にトリックスターですよね。いたずらっ子ミイの存在はムーミンたちの物語を促進させると同時に、深みを与え、登場人物たちの成長や変化をもたらしています。それは心理療法的とも言えます。

 

<ミイVSムーミントロール>

 ムーミンは正義感が強く繊細です。このタイプは自分の考えに相いれない悪や野蛮を無意識に抑圧しがちです。ただし、真面目で正直なので、自分にうそをつきとおすこともできない。今の自分が完ぺきとまでは思えず、ごまかしきれない自分の悪や弱さに気づくと苦悩します。

 ミイはムーミンが自己欺瞞的で自己中心的なロマンにひたっているときに、現実をつきつけてきます。たとえば、鳥の巣を煙突から取り除くのに、鳥がかわいそうだからもう少ししてからにしようと訴えるムーミンに、今やろうと後でやろうと変わらない、「どっちみちあんたは、良心にとがめられることなしに鳥をおっぽりだせるというだけじゃないの。」と。

 また、ミイの最大の悪行として、ムーミンからアリを追い払う相談を受けた際、ムーミンが知らない間に灯油を巣に流し込んで大虐殺するエピソードがあります。怒るムーミンにミイは、「あんたはあたいがありになにをするか、ちゃんと知っていたはずよ。あんたはあたいがそれを口に出さないことをねがってただけだわ。あんたったら、ほんとに自分自身をだますのがじょうずね!」と言ってのけます。ムーミンもアリを排除したい、でも自分はいい子でいたいから殺したくない、ミイに相談した時点で、ミイが過激な方法をとることはうすうす感じつつ、目をつぶっていたのです。結局、自分の手を汚さずアリを排除するという利益をムーミンは得る。

 ムーミンはミイによってさらなる苦悩を背負い、深化して成長していきます。ムーミンが成長するエピソードのとき、ミイが関わっていることが多いのです。直接ミイの言葉や行動に影響を受けるというほど単純なエピソードではないのですが、『ムーミン谷のなかまたち』の「世界でいちばんさいごのりゅう」、『ムーミン谷の冬』、『ムーミンパパ海へ行く』といった、ムーミンが自分の影を知って苦しみながら成長していくエピソードには、ミイがムーミンには理解できない、ときに悪ともいえる発言をし行動をとっているのです。まるでムーミンの影のように。

 

<ミイVSムーミンパパ>

 ムーミンパパはさらに抑圧が強い人です。前回のブログで書いたように、男らしさにこだわり、父親らしくない自分を認めません。ムーミンやママはやさしいし一応パパという権威を立て遠慮していますが、ミイはトリックスターの本領発揮です。

 『ムーミン谷のなかまたち』では、姿を見せたニンニに対しパパはえらそうな演説をしようとします。それをスプーンでテーブルをたたいて中断し、遊びに誘います。パパの権威や立場など無視し、一番やりたいことしかも一番ニンニに必要なことをやろうとするのです。『ムーミンパパ海へ行く』では、いじけるパパに対し「パパのおこりかたはいけないわ。パパは怒りを外へ出さないで、中にとじこめるんだもの。」と冷静にパパを分析します。その後も、島でのパパの失敗を、ママとムーミンがなぐさめはげます横で、ばしばし事実を言って批判します。しかしミイの何気ない言葉でパパ自身が気づいていない本心をずばずば気づかされていきます。

 プライドにこだわり自分の失敗や欠点を認めず、相手を変化させようとするパパが、相手をそのまま受け入れ認めるために、ミイの自由で家父長主義的権威を否定する態度が必要だったのでしょう。

 

<ミイと空想>

 ミイは空想の世界にも何のとまどいもなく入り込み、簡単に空想から出てきます。怖い空想ばかりして、現実的な見解をするムーミンママに「ママってほんとに俗人ねえ。」と文句を言います。しかし、逆の立場をとることもあるのです。『ムーミン谷の仲間たち』では、空想好きの少年、ホムサが登場します。空想を親に嘘と批判されたホムサは、大人に反発します。しかし、遊びの途中で出会ったミイは、ホムサの空想を上回る怖ろしいお話をしてきます。ホムサは普段と態度を変え、そんなの嘘だ!と否定しますが、ミイの語る怖い話はどんどんホムサを追い込みます。結局、ホムサは空想がときに人を傷つけること、大人の言う現実の大切さも学びます。

 ムーミンにも怖い話をして脅かしますが、怖がるムーミンに「あんたはなんでも文字どおりにとりすぎるわ。」「あんた、そんなになんにでも心をいためることはないわ。」と話や空想に飲み込まれることも否定します。

 小説家、画家である作者は空想の大切さをだれよりも知っているはずですが、単純に空想を善とし、大人の頭の固さを否定してはいません。その両方、中間を、ミイを通じて表現できているように思います。

 

<ミイの小ささ>

 トリックスターは現体制をからかい反抗する存在であり、硬直した体制を改革するものでもあります。でも常識外れで悪にも近いから、あまり正統的なかっこよさはない。身体的なコンプレックスを持っていることも多いです。先に挙げた具体例でも、いわゆる美男、美女は少ないでしょう。道化もそうだし、木下藤吉郎なんて‘猿’ですし、ねずみ男も体臭がくさく、妖怪からも人間からも嫌われる。スサノオも母を恋しがり泣きわめいて、いたずらで糞便まきちらしています。どうにも下品でなさけない。

 

 ミイも、その体の極端な小ささといつも怒っているような顔で、古臭い女の子らしさはない。(その役はスノークのおじょうさん、アニメ版のノンノンやフローレンです。)本人も小ささは気にしているようで「おっきくなりたあい!」と叫んでいます。でも劣等感を隠さないで叫ぶところがミイらしいですね。(そういえば、女性のトリックスターって少ないような。そういう意味でもミイを研究すべき価値があります。)

 そして、ミイはその小ささゆえにいろんなところに忍び込んで他人の秘密を知っています。情報通やのぞき見もトリックスターの特徴です。また、トリックスターはうまくいくと創造性を発揮しヒーローになりますが、下手うつと、罰せられてしまいます。ミイは小ささによって許されているところがありますね。(ミイの年齢は実はスナフキンより上です。ムーミンパパより少し下くらい。まあ、この辺の設定めちゃくちゃなのは神話的です。)

 

 <ミイの癒しの力>

 ミイは、ほかの人が遠慮したり言うのにはばかることも、ずばずば発します。隠したり抑圧したりがないのです。これは真面目な、体制側にいる常識人の眉をひそめさせ、秘密を隠したい人に恥をかかせ傷つけます。しかし、それなくして新しいエネルギーは出てこない。癒しと解放がなされないのです。

 

ミイの癒しと解放の力は、やはり以前ブログで書いたニンニの物語に典型的です。「たたかうってことをおぼえないうちは、あんたにはじぶんの顔はもてません」と、ニンニが抑圧してきた、怒ること、戦うことが自分らしさにつながることを的確に見抜きます。そして自分らしさを取り戻したニンニの行動は、ミイのような行動なのです。

 

 トリックスターはただ個人にいじわるするという低レベルなケースもあります.

実際、ミイもかなり嫌味でいじわるです。しかし、常識をはずれた部分が、深く、広くなると、この世の理を外から見たり深みから見たりして、いじわるや嫌味を超えた真実や哲学を持つようになります。それが現体制で苦しんでいる人にとっては解放や癒しにつながる。ほかのトリックスターたちもそうでした。

 

 

 常識や権威を無視し、醜さや障害をかかかえ、弱者のようでありながら実は強く、したたかに生きる。正統な人々が知らない世界を知っているし、人生の深さや広さを体験している。そして小さくてなんともいえないかわいらしさももっている。

 そんな複雑なトリックスター性が、ミイのたまらない魅力だと思います。