最近、ピーター・A・ラヴィーン(P.A.Levine)博士のトラウマに関する本を3冊立て続けに読みました。博士は「ソマティックエクスペリエンス」という身体を使ったトラウマセラピーを提唱している方と知り、合気道セラピーにも参考になるかと翻訳されている本を読んでみたのですが、とても興味深いものでした。
<生物の危機対応パターン>
生物は危機に対し、「戦うか・逃げるか・すくむか(Fight-Flight-Freeze)」という反応をします。「戦うか逃げるか」、は有名だしわかりやすいですね。交感神経が優位になり、瞳孔拡大、心拍数、血流、呼吸、アドレナリン分泌、発汗、などが多くなり、消化器系の働きは抑制されます。猫でいうと、毛を逆立ててとびかかる、あるいはダッシュして逃げる寸前の様子です。
「すくむ反応」というのは、危機が来たときにその場で固まってしまうことです。「恐怖性麻痺」とも言います。知らない家に連れてこられたときの猫はすきまなんかに入り込んで固まっています。道路に飛び出して車にひかれそうなときも固まってしまっていますね。この場合副交感神経系(背側迷走神経)が優位でいきなり交感神経をオフにします。
また、実はもう一つ危機の時の反応があります。それは「破綻(Fold)」で、これは脱力し崩れ落ちる反応です。この時も副交感神経優位(背側迷走神経)が過剰に機能し、リラックスを超えて、無力、あきらめの虚脱となります。
「すくむ」と「崩れ落ち」という、「不動反応」がどうして危機対応になるかというと、相手の攻撃性をこれ以上刺激しない、死んだふりをして死肉を食べない捕食者から見逃される(死肉は腐っていて食中毒を起こす可能性があるため避ける肉食獣はいる)、見つかりにくい、自分が犠牲となってその場で食べられているすきに仲間が逃げられる、無感覚となり痛みを感じない、エネルギーを節約する、などというメリットがあるそうです。
ただし、「不動反応」は、戦うも逃げるもできないときの反応です。運動することができず「戦うか逃げるか反応」が邪魔されたり休止したとき不動になる。そしてすくんでいるときも虚脱状態のときも、身体は戦う・逃げる準備をし神経は活発となり、そのエネルギーは身体に残り保管されます。
<トラウマになる条件>
ラヴィーン博士によると、「戦うか逃げるか反応」が成し遂げられない、終わりきらないときのみ、神経系の過剰な活性化が身体に残り、トラウマになるということです。反応がきちんと終了し発散できたかということが大変重要なのだそうです。
つまり、押さえつけられたり拘束されたり、動かないよう脅されたり、麻痺して身体が固まったりして、危機に対応した動きをとることができず危機後もそれを完了する動きができないとき、トラウマとして残りやすいというのです。
「戦うか逃げるか反応」ができず、「すくむ」あるいは「脱力」するとき、そして反応の解除をさせてもらえないとき、危機対応の残りが身体に保存されつづけます。理性で「もう危険はない、終わった、過去のことだ」と考えても、身体に残った反応は除去されないのです。
反応が終了していないので、「戦うか・逃げるか・すくむか・崩れ落ちるか反応」が、ことあるごとに、あるいは毎日のように、交互に出現します。トラウマについて、「凍りついた時間」などという表現がありますが、これはその記憶を覚えていて冷凍保存のようになっているということだと思っていたのですが、文字通り身体が凍りついていて、それが解除されていないのですね。
危機が去ると判断すると、生物は自然にその反応をといて、交感神経・副交感神経のバランスを戻します。その際交感神経系のエネルギーを一気に放出すると、興奮し暴れたり自傷したり猛ダッシュしたりします。そのような反応に自分自身が圧倒されないために必要な身体反応は、「震える」「振動する」ことなのだそうです。身体に残っている過剰な神経系の活性化を収めるために、「震える」ことで未完成の「戦う逃げる反応」を活性化し、終了させます。
固まったネズミなどはその状況から脱するときには身体を震わせているそうです。ところが、動けないことに加え、危機終了後にも身体を震わせて危機状況対応の終了を身体に伝えられない場合があります。それは強烈に脅かされたり、拘束、捕らえられたときです。たとえば、力の強い加害者に押さえつけられたり、医療処置で拘束されたり全身麻酔をされる(これはもちろん善意であり医療者が必要として行う行為なので見過ごされがち)、虐待者から震えないよう言われる(私は、これは泣くな!とか、口ごたえするな!などと言われることもだと思います。)、降り注ぐ砲弾のなかでひたすら塹壕にこもる、などです。これらはすべて、身体に生じた危機反応をがまんさせられ初期に中断させられるということになります。本当は逃げ出したいのにできない、押しのけたいのにできない、無力、あきらめるしかない、となるのです。それは心理的認知でなく、身体の神経反応として残るのです。
つまり、危機状態に対し生物として自然な反応を禁じられたとき、その反応が身体=無意識に深く沈み込んで存在し続けるのがトラウマというわけです。逆に言うと、「戦うか逃げるかすくむか反応」がうまくいったと認識でき身体もその反応をきちんと解きエネルギーが発散されたときには、悲惨な状況でもトラウマになりにくいということですね。
ラヴィーン博士はセラピーでは、この終了していない反応を終了させるのが有効としています。トラウマについて語ってもらうより、身体に働きかけて、震わせ、もう危機は去った、と理性ではなく身体=無意識に理解してもらうのです。
<「戦うか逃げるかすくむか反応」=「居つき」>
さて、これを知ったとき、私はやはり武道との類似を感じずにはいられませんでした。武道では、「破綻反応」はもちろん、「戦うか逃げるかすくむか反応」も絶対に避けるべきものです。それは「居つき」と呼ばれます。合気道では常にリラックスして固まらず動き続けることを指導されます。合気道だけでなくシステマにおいてもそれは強調されています。みなさんはシステマをご存じですか?ロシアの武術なのですが、技の動きやその理念、哲学が合気道にとてもよく似ていて、ロシア版合気道なんて言われています(合気道から見るとですが)。ロシアの伝統的武道をスペツナズ(特殊部隊)の格闘技に応用していて、それを民間にも公開できる範囲で世に出てきたのがシステマです。このシステマでも、戦場では常に呼吸し、常にリラックスし、常に動き続けろと言います。
合気道とシステマでは特に強調されていますが、それ以外にも、多くの武道・武術では「居つき」を嫌い避けるべく稽古しています。
「居つき」はなぜ悪いのか?相手の攻撃が当たりやすくなる、というのはまあ、常識的というかわかりやすいですよね。
さらに、攻撃が当たったときのダメージが大きくなります。これは武器を使うとわかりやすい。私も木の短刀で稽古しましたが、身体を柔らかくし短刀が当たってきたらほんの少し身体を回すだけで、直撃しません。本物の刃物でも、服や皮膚の表面は切られるでしょうが、致命傷にはならないでしょう。柔軟に動くと、よける動きがすなわち反撃にもなるように動けます。しかし身体をぐっと固めると、短刀は身体に直撃して当たります。本物なら内臓までぐさっといくでしょう。そして反撃は一歩遅れます。固まってから動きますからね。
また、出せるパワーも実は低くなります。がちがちに固まった身体で剣を振ったり、つきやけりを放つと、力を出しているわりに威力はありません。相手をつかむとき、関節を決めて押さえるときなども、固まった身体で行うとスムーズにいかず、決まりません。
さらに悪いことに、こちらが居ついて固まると相手にも影響が出ます。がちがちになって相手の腕をつかむと、それに反応して相手もがちがちに居つきます。すると、お互い固いまま力比べとなってにっちもさっちもいかない状態となり、結局腕力勝負になるだけです。また、こちらが怖れ攻撃しようとする意図が伝わり、相手もさらに怒りや恐れを増し攻撃性を呼び起こして終わりなき争いが展開されます。
以上のように、「居つき」は武道的には最悪です。
この「居つき」という現象は、相手の攻撃へのとらわれ、固執によって起こります。相手が短刀で刺してくるとき、まず感情として「こわい!嫌だ!」、認知として「この刃物なんとかしなければ!」「よけなきゃ!」「つかまなきゃ!」と、心理的なとらわれが生じます。すると視線は刃物のみに集中し視覚が狭くなります。つまり視覚がとらわれ固執します。筋肉も固くなり動きも刃物に対してのみに準備をし、筋肉もとらわれ固執します。気の流れも滞ります。そうするとすべての反応、動きがぎこちなくなり、「居つき」ができあがってしまうということです。
関節技でも同様なことが起こります。手首をきめる技で、「この手首を返さなきゃ!」と相手の手首だけを見てぎゅうぎゅうひねろうとしてもききません。手首に固執して固い力を加えると、相手も痛いのは嫌なので、力で手首を固めてしまいます。そんなときは、手首へのとらわれを捨て、ひざと腰を落とすだけで、すっと技が決まることがあります。一点にとらわれず身体と気の流れの全体(自分の全体だけではありませんよ。自分と相手両方含めた全体です)を見ることが大切です。
<武道におけるトラウマを防ぐ知恵>
そして、これらの武道の知恵は、その場で刃が刺さりにくいとか攻撃が当たりにくいとか効果的に技を決めるとかいうことだけでなく、トラウマにならないという点でも重要なのではないかと思いました。「居つく」ことは「すくむ反応」であり、武道ではそもそもその反応を起こさないように稽古する。そして起こっても動き続けていることですぐに放出し、反応が未終了となり身体と心理に残り続けるということがないようにするための古くからの知恵なのではないでしょうか。
常にリラックスして動き続けることで、トラウマになりそうな状況でも「戦うか逃げるか反応」を穏やかに放出し、「すくむ反応」と「破綻反応」という「不動反応」を起こさない。あるいは起こってもすぐ放出し、トラウマにしないようにするということになります。
さらに、「震える」「振動する」ということがトラウマ予防あるいは回復に大切とのことですが、これも合気道に見られます。手首ふり運動、あるいは振魂(ふりたま)運動というものがあります。両方とも手首を振動させる動きなのですが、その動きをやめてからも見えない微細な振動がぶわーっと、あるいはびーんっと続いているような気がします。そして指先がびりびりじんじんします。それは手首から身体全体に広がり、身体全体が超音波振動のように微細に震えているように感じます。
また、さらに難しい身体イメージ操作になりますが、気を出すイメージの稽古を続けていると、そのうち指先がびりびり、じんじんと感じてきます。震わす運動をまったくしていなくて、気を出すイメージだけで微細な振動を感じるようになるのです。
さらに気を出すイメージのトレーニングを続けると、呼吸法だけで振動を感じるようになります。ゆったりと深呼吸し雑念を受け流すだけで指先がびりびりじんじんします。これはマインドフルネス瞑想でも起こりうると思います。
合気道では言霊(ことだま)は「声のひびき」、「天地のひびき」と言いますが、この「ひびき」も微細な振動でしょう。腹から声を出すというのも、トラウマ予防、回復になりそうですね。
動けない状況でも身体を細かく震わせることや、呼吸に意識を集中すると身体が微細に細かく振動しているように感じます。それが危機反応を終わらせ交感神経・副交感神経のバランスをとることができるのだと思いますす。
さらに、有効に動くことができる、トラウマから回復できるということは、希望をもって人生を進めていく勇気と力強さにもつながります。トラウマはもともとは生きようとする対応のせいです。そのエネルギーが行き場を失い身体に滞っている状態です。だから、それが放出され調和されれば、生きるエネルギーになるのです。
最新の心理学理論や脳神経科学理論と同様の知恵を古くから伝わる武道が持っていたというのは感動的です。これからも合気道をトラウマからの回復のセラピーとして応用する研究を続けていきたいと思っています。