前回、発達障害の方への私の方針として内面の構造化を紹介しました。発達障害の人へのカウンセリングは、単に共感的に聴いて受け止めるだけでは意味がないこともあります。より効果的な方法が必要なのですが、そもそも保護者や教師、カウンセラーが変えようとする問題行動の理由、きっかけは何なのでしょうか?
発達障害の方は、世界がクラウド、あるいは藪になっているのではないかと思います。つまり自分の身の周りで起こることの背景がわからず、いきなり藪から棒が飛び出してくるように感じているのではないか。クラウドというのも、インターネット用語ですがもともとは雲という意味ですよね。データやソフトウエアのあるところはわからず雲の中ですが、いきなり自分のパソコンやスマホに出てきて利用できます。
発達障害の方の認知特性に、全体をまとめることや前後の文脈から類推することが苦手ということがあります。部分ひとつに注目が集まり、周囲や全体は見えにくくなります。そうすると何かが起こったときに、その背景情報を理解して把握することが難しい。だから物事は常にいきなり現れるもので、予想したり準備したり対応したりすることが苦手でストレスになるのです。
教室でよくある事例です。
帰りの会の前に、児童がそれぞれ楽しくおしゃべりしています。クラスはざわざわしています。そこに担任がやってきます。教室の前に立ち、ざわつきが収まるのを待っています。何人かの児童がそれに気づいてい、小声で友達に「おい、席つこうぜ。」と言います。声にも出さず、担任のほうを見るしぐさや自分から黙ることで担任が怒り始めていることを伝える子もいます。次第にクラスのざわつきは収まっていきますが、発達障害のある子だけはそれに気づきません。そのうち、その子のみが大声でおしゃべりをしていて、他の児童はそれを受け流しています。担任は厳しい表情をしていますが、それも気づかず、最後にその子だけが注意されてしまいます。
さて、注意された子はどう思うでしょうか。他罰的になると、クラスメートが自分の話を急に受け流すようになったことで、無視された、いじめられたと怒るかもしれません。自罰的な場合は自分は嫌われているんだと思うかもしれません。
担任がずいぶん前から来てなかなか静かにならないクラスに怒りを感じていたことを認識していないので、他罰的な場合、担任は自分にだけきつくあたって意地悪だと思うかもしれません。自罰的だと自分はダメな子だと感じるかもしれません。
いずれの場合も、学校は嫌い、怖い、適応できないと思ってしまうでしょうね。こういうことが続くと、他罰的、自罰的な傾向が強くなり、ますます客観的、調和的に物事をとらえることから遠くなっていきます。
発達障害の方の他罰的傾向と自罰的傾向は、いつも「藪から棒」、「寝耳に水」の世界に住んでいるからなのではないでしょうか。 想像してみてください。理由や前後関係がわからないのに、いきなり何か事態が起こる世界に住んでいたら自分のこころがどうなるか。常に安心できないし、人や世間が悪いか、自分が悪いと思わざるをえないでしょう。世の中とはだいたいこういうものだ、という確信がないと、それは怖いですよね。行動しようにも指針が立てられない。
よく発達障害の方は後ろから声をかけられたり肩をたたかれるのが苦手と言われていますが、知覚過敏の問題だけでなく、周囲の観察ができていない、時間軸で認識していないという認知的な特性から、後ろから起こってくることが「藪から棒」になっているからとてもびっくりするのでしょう。それは知覚だけでなく、心理的な問題や世界観、自己像という人生上の認識にもなっているのです。(知覚過敏自体も、神経学的な問題ではなくて、世界観や自己像が元にあるのかもしれません。)
私は、彼ら/彼女らの問題行動は、いつも物事が突然起こる、わけもわからないのに起こる、という世界に住んでいるからだと理解しています。「世の中っていきなり物事が起こるから疲れちゃうよ!」「理由もないのに急に嫌なことが起きてきて、わけわからなくて怖いよ。」と言いたいのではないでしょうか。
では、私の「内面の構造化理論」ではどのように対応してるのかを簡単に書きます。
発達障害の人は自罰的、他罰的になりやすいので、まずは彼ら/彼女らの良いところを探しほめて認めるようにします。同じようにいきなりで理屈がわからないものだけど、「藪から棒」より「棚からぼたもち」のほうがよいですよね。 これはお世辞を言うのではありません。ありもしないものをほめるのではなく、実際に彼ら/彼女らがもっているけれど藪に覆われている長所を探し認めるということです。WISCやK-ABCといった知能検査もこの目的で使用します。世界はいきなり嫌なことも起こるけれど、よいことだって起こるという思いをもってもらいたいのです。
さらに、発達障害の方の社会理解を構造化します。藪を見通し、クラウドをはらって、その奥から出現する現象をわかるようにしてあげるのです。 クライエントさんから聞いたことを、それはこういう理屈で起こったことだと価値判断を入れずに解説します。
テンプレートはこんな感じ;「きみが不満を言っていることだけど、社会では多くの場合〇〇という流れがある。 歴史的に○○だったからね。 今回もそれで生じたことなんだよ。 〇〇という例外も時々あるけどね。 きみは○○が苦手だから、こういうのは大変だよね。 でも世の中的には重要だったりするんだよ。 〇〇というデメリットもあるけど変わらず続いているよね。 今後の対策として○○というのはできそう? あとは先生(保護者、上司)に○○という配慮を頼むのもいいと思うけど、できそう? きみは〇〇は得意だから、そちらの能力を遣えばその流れから外れても、まあ大丈夫なこともあるけけどね。 きっと似たタイプと協力できるよ。 どうしても〇〇が不満なら、変えるための活動や訴えを社会にしていくことだってできるよ。」
クライエントさんの反論や疑問にもていねいに答えます。わからないことは素直にそう言いますし、次回のカウンセリングまでに調べてくることもあります。
ここで重要なのは、私の持論や好みではなく、私が理解した範囲での客観的な事実を説明するということ。もちろん私の主観から完全に自由にはなれませんが、なるべくそう努力します。そして私の主観も含まれているということも説明します。
ていねいに真剣にこの取り組みをすると、発達障害のクライエントさんには通じるようです。次第に社会を敵視したり怖れたりすることが減って、適応力が上がります。
適応力が上がるとは、社会に従うようになるというのではありません。藪の正体を知った結果、それに逆らうことを意図的に選ぶ道も適応だと私は考えています。心理臨床家としての私に重要なのは、クライエントさんを社会常識や体制に従う人間にするのではなく、クライエントさんが活き活きと自分の主体で道を選択できるようになるということです。それが社会や私の好みや常識と違っていてもです。
最後に、保護者や教員、上司、組織や公的機関等にも、彼ら/彼女らの認知や世界観、自己像を説明しできる配慮を求めることも合わせてこの方法は完成します。これはクライエントさんへのアプローチと時期的には並行して行います。
この方法をしない支援は、発達障害の人のみ変われ、とうながすことになるずるい方法だと思います。発達障害の人にも努力してもらいますが、保護者、教員、上司、組織、公的機関にも同量の努力をしてもらいたいと思います。